2007年03月13日

映画のタイトル

連合国の戦勝国の1国となった上に国土に殆ど被害を受けなかったこともあり、大戦終結後は1950年代にかけて未曾有の好景気を享受することとなったが、冷戦による共産主義への脅威を受けて一時ジョセフ・マッカーシー上院議員らによってヒステリック的に赤狩り旋風が巻き起きた他、1960年代にはジョン・F・ケネディ大統領や公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、ロバート・ケネディ司法長官など要人の暗殺事件が度々起こるなど、政治的な混乱も続いた。

また、冷戦においては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する資本主義陣営の盟主として、自由、民主主義の保護の名の下、ベトナム戦争やグレナダ侵攻など世界各地の紛争に積極的に介入する。特にベトナム戦争への介入は世界的に大きな非難を呼び、あわせて国内世論の分裂を招いた。単に「反共産主義的」であるという理由だけで、アジアや南アメリカ諸国をはじめとする世界各国の軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。また、長引く冷戦時代を通して軍部と経済界が結びつき軍産複合体を形成しアメリカの政治・経済・軍事政策に深く関わる構図も生まれた。こうしたアメリカの戦争を止められない性質を揶揄して「戦争中毒」と呼ぶ論調も存在する。アメリカの軍需産業・軍需経済・軍事政策の関連性と歴史と国の経済に対する比率や影響力についてはアメリカの軍需経済と軍事政策を参照。

また、1965年から1975年の10年に渡り行われたベトナム戦争における事実上の敗退前後には、深刻な麻薬汚染とそれがもたらした治安の悪化に悩ませられるようになった。また、石油ショック以降の原油の値上がりによって基幹産業の1つである自動車産業などが大きな影響を受け、1970年代以降は日本などの先進工業国との貿易赤字に悩ませられることとなる。1980年代に入ると、日本との貿易摩擦が表面化し日本製品をホワイトハウス前で議員がハンマーで叩き壊すという現象も生まれた。近年は、中華人民共和国に対する貿易赤字が膨張している。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件後、ブッシュ政権は「テロ支援国家」としてイラン、イラク、北朝鮮を名指しで非難しアフガニスタン侵攻、イラク戦争へとつながったが、イラク戦争には「石油を狙った侵略行為」であると批判する声も存在する。

アメリカ同時多発テロ事件を境として、アメリカを取り巻く環境ないしはアメリカの世界への対応は劇的に変化し、国際情勢や各国間の関係にも大きな変化がおこっている。現在も“アメリカの死活的利益擁護のためには武力行使を含むあらゆる手段を選択”と宣言している。同時多発テロ後のアメリカは全体主義の傾向が強まりつつあると言われており2005年以降、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき具体的な法令的根拠・令状なしに、国内で盗聴・検閲等の監視活動を行っていることについては批判の声もあがっている。
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コンタクトレンズを落とした コンタクトレンズを落とした

1898年にはハワイ王国を軍事的恫喝にて併合し、またグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地とした。その後ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦にはイギリスやフランス、大日本帝国などとともに連合国側として参戦し、戦後はウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立に大きな役目を担った。また、これにより他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。

続く1920年代には都市部でバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代、Roaring Twenties」が起こるが、1929年10月29日ウォール街のニューヨーク株式取引所で起った株の大暴落「ブラック・チューズデー」がきっかけとなり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌は後にドイツやイタリア、日本などにおける軍事政権や独裁政権の成立の大きなきっかけとなっただけでなく、アメリカ国内においても労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いた。

1939年9月にヨーロッパにおいて開戦した第二次世界大戦においては、1941年12月の大日本帝国(現在の日本)による真珠湾攻撃の後に、イギリスやソビエト連邦、中華民国やオーストラリアなどが中心となって構成された連合国の一員として参戦した。しかし主な戦場から本土の距離が離れていたために、日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回に渡る日本海軍による西海岸への攻撃以外には本土に被害を受けることなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて大日本帝国やドイツなどの枢軸国との戦闘でも大きな役割を果たした。

1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て完成させた原子爆弾を世界で初めて実戦に使用し、大日本帝国の広島と長崎に投下した。大戦中には日系アメリカ人に対する、いわゆる日系人の強制収容などの自国民に対する人種差別的な政策も行われた。この政策に対しては、後に政府が過ちを認め、大統領が日系アメリカ人に対し正式に謝罪することになる。
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BGMを流そう

イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の発見を志したが、1492年に現在の西インド諸島を発見した。その後、イギリス人のジョン・カボットが、古くは(先住民)のみが居住していた北アメリカ大陸の東海岸を探検し、後にイギリスがこれを領有する(ニューイングランド植民地)、その後フランス人のジャックカルティエがセントローレンス川を遡り後にこの一帯をフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、そして先住民の放逐がはじまった。

この様に北アメリカの多くがヨーロッパ各国の植民地となり、また、この頃よりこれらの国が持つアフリカ大陸の植民地より、多くの現地人が奴隷労働力として強制的に連れて来られ、この様な状況は独立後も続いた。その後1775年に、イギリス植民地の13州による独立戦争が勃発する。

1776年に独立宣言を行い、1778年に連合規約を締結(批准・発効は1781年)、1783年に独立を達成した。1787年9月17日には、連合規約に代えて、さらに中央集権的なアメリカ合衆国憲法が激論の末に制定され、1789年3月4日発効した。

その後は勢力圏を拡大していき、メキシコへの侵略やスペインなど諸外国との戦争、アラスカのロシアからの買収などにより多くの新しい州と海外領土を合衆国に加えていった。その間の1861年から1865年まで内戦(南北戦争)を経験する。

その最中の1862年にはエイブラハム・リンカーンにより奴隷解放宣言がなされたが、法の上でのアフリカ系アメリカ人に対する人種差別はその後も100年以上に渡り続くことになる。なお、リンカーンは南北戦争終結後に暗殺される。
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